2005年07月10日

自分の意見は書かないのだから・・・

 レポートには自分の意見、考えは書かないと書いた。参考文献を読み、他者の意見、考え、思想、理論等々をレポートに書く。他者の意見であるから、当然そのように書かなければいけない。
 この問題を山田は、次のようにとらえる。
 すなわち、山田によれば、・・・
 ・・・というのが山田の見解である。
 これに対し、川田は、・・・と主張する。

 このように誰の主張なのか、見解なのか、わかるように書かなければいけない。そうでないと、レポートを書いている学生の意見と見なされてしまう。レポートだから厳しく言われないが、論文であれば剽窃と見なされる。

 なお、教員によっては、必ず自分の意見、考えを書くよう指示する場合もあるが、そういう場合でも、基本は参考文献を読み、調べて書くことにある。上記のような書き方をしておいて、最後に自分の意見や考えを付け加えればよい。続きを読む
posted by Prof.T at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | レポートの書き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夢と希望

 「希望とは何か」東大がプロジェクト発足 という記事を読んだ。
 記事にあるように、日本社会は希望が見えにくく、閉塞感に満ちている。

 現代社会はまた夢を欠く。年末には確かに夢をかなえる手帳術のような本が売れた。しかしそれはきわめて個人的な夢であり、社会全体が持つ夢ではない。

 1960年代、日本社会は夢を持っていた。多くの人が共有する夢があった。
 1963年に放送開始された「アップダウンクイズ」では、10問正解者が「夢のハワイ旅行」を獲得した。
 1964年10月、東京オリンピックを目前に開通した東海道新幹線は「夢の超特急」と呼ばれた。
 昨日より今日がいい日で、今日よりも明日がいい日であると、みんな信じていた。夢の超特急は、東京と大阪を3時間で結ぶだけでなく、みんなの夢をのせて未来に向かって走っていたのである。
 1970年の大阪万博のテーマが「人類の進歩と調和」であったように、アトムが生まれる21世紀はバラ色に輝く社会で、平和が実現されていると思っていた。夢と希望に向かって、社会は進歩していくと考えていた。
 もちろんそれらの夢は根拠がなく、現実にはさまざまな問題がつねに生起していた。人々は「夢も希望もありゃしない」と嘆いたりもした。しかし、それは人々が夢を抱き、希望を持っていたことの裏返しであった。

 21世紀、5人に1人が65歳以上の高齢社会に突入したこの社会に、人々が共有する夢はない。政治、経済、社会の各領域で、解決しがたいさまざまな問題が存在する。これらの問題を抱える社会を「痛み」に耐えて改革を実行するというが、果たしてその先にどんな夢が広がるのか?
 人々が夢を語らず、希望を持たない社会に明日はあるのだろうか?
 「痛み」に耐えたその先の夢を知りたい、語りたい。
続きを読む
posted by Prof.T at 21:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 新聞・テレビから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夏休みの会話

 夏休みが来てうれしい\(^O^)/なんて書いてて何だが、夏休みも結構教員は忙しい。というか、夏休みにしか研究ができない。
 文献を読み、資料を調べ、考え、悩み、また文献を読んで(6月20日の記事)、という一連の作業を通じて研究や論文のアイデアを思いつくためには、これらの行為が中断されないことが重要である。読んでいる途中で会議が入る、考えている途中で講義をする、ということになると、何を読んでいるか、何を考えていたか、分からなくなって悩むことになる。これは本質的な悩みではない。
 結局、夏休みしかまとまった時間がとれないので、夏休みは貴重な研究期間となる。

 ところが、OB職員は、大学教員というものはOB教員同様押しなべて研究をしていないと思い込んでいて、夏休みに入った直後に大学で会ったりすると、「おや、先生、今日はどうされたんですか?」などと失礼な質問をする。「いやいや、研究室で研究ですよ」と答える前に、「あっ、採点ですね!」などとしたり顔をする。「終わったよ!」と言いたいが、それを押さえて、「いえ、研究で」とにこやかに答えるのだが、相手はどうも腑に落ちない顔をしていて、それが何とも気に食わない。
posted by Prof.T at 15:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 業界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

問題が教えられている場合の試験勉強

 論述式の試験は、参考文献の使用や時間が制約されたレポートの一種と考えることもできる。
 ミニ・レポートと考えれば、よい答案を書くのはそれほど難しいものではない。レポートの書き方同様、論旨を明快にして、しっかりした論理展開を行えばよい。正確で具体的な情報を織り込んでいくことが重要である。
 問題があらかじめ教えられている場合は、ミニ・レポートをつくり、これを自分なりの模範解答ととする。
 授業に出ていて、ノートをしっかり取っていたからといって、ノートを単に眺めるだけではダメだ。たいてい要点が断片的に書かれているだけで、眺めただけでは、何がなにやら分からない。分かったと思っても、分かった気になっているだけで、よい答案は書けない。必ず文章化しておかなければならない。そしてこの文章化したミニ・レポート=自分なりの模範解答をしっかり覚えて試験に臨まなければならない。問題が教えられている試験の場合、試験開始の合図とともに、解答がはじめられるように事前にしっかり覚えておく。「何を書けばいいんだっけ?」と考え込むようでは、負けである。

 なお模範解答は正確につくること。ニクソンをニソクンとか、マルクスをマクルスと書き間違えているような答案がときどき出てくる。試験中に参考文献で確認できないのだから(やったら不正行為だ!)、自分の頭だけが、記憶だけが頼りである。正確に覚えたい。
posted by Prof.T at 13:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 試験 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

情報は具体的に、正確に!

 現実の政治、経済、社会に関するテーマが与えられた場合、レポートには具体的な情報を書いていかなければならない。
 
1970年代初頭、当時のアメリカ大統領は、金とドルの交換停止を決定した。・・・・・・ドルに対し円も大幅に切り上げられた。・・・・・・その後、相場制も変わり、それまでの通貨体制が崩壊した。

 1971年、ニクソン大統領(当時)は、金とドルの交換を停止した。・・・・・・1ドル360円から308円へと、円も大幅に切り上げられた。・・・・・・1973年には固定相場制から変動相場制に移行し、こうして、第2次大戦後の国際通貨体制であったブレトン・ウッズ体制は崩壊した。

 当然のことながら、具体性に富んだ下の事例の方がレポートとして評価される。

 レポートは学生に勉強させるために課すものである。
 勉強させたいと思う教員に、「私はこれだけ勉強しました」とレポートで答えなければならない。したがって、レポートには勉強した成果が表現されなければならない。参考文献を読んで、知ったこと、学んだことを、一定の枚数内でしっかりと表現、表明しなければならない。そのためには、具体的な情報を書くのが一番である。そして、具体的な情報を正確に書くためには、調べなければならない。この作業をさせたいために、教員はレポートを課すのである。

 調べて学んだこと、新たに知ったことをきちんと表現する、表明する、これが良いレポートへの道である。
 
posted by Prof.T at 11:03| Comment(0) | TrackBack(0) | レポートの書き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

名文は書けない・迷文は書かない(2)

 良いレポートは、論旨が明快であり、しっかりとした論理展開がなされている、とたいていの「レポートの書き方」は指摘する。その通りである。それでは具体的にどうするのか?

 すでに「名文は書けない・迷文は書かない(1)」(7月4日)で言及したように、書く内容は決まっている、それを短い文章で書いていく。そうなると、良い論文の書き方の決め手は、副詞や接続詞を中心に、理由、原因、経緯等々を説明する際に使用する表現を適切に使うことができるかどうかにかかってくる。
現代日本社会の最重要の課題として、少子高齢化が指摘される。「なぜならば・・・だからである。」
 現代国際社会においてテロは最優先に解決されなければならない問題である。「その理由は・・・」
上記の「なぜならば・・・だからである」、「その理由は」や
 
「そもそも」この問題は、・・・に起因する。
この場合の「そもそも」、 
「したがって」、この問題は、以下のようなことをも意味する。 「第一に」、・・・。「第二に」、・・・・・・。「最後に」、・・・。
 上の場合の「したがって」、「第一に」・・・・・・や、 
「しかし」、以上のような見解には、強い批判も存在する。
この「しかし」、 
 
「以上のように」、多様な見解が存在し、それらが厳しく対立していることが、まさにこの問題の重要性を物語っていると言えよう。
における「以上のように」などをきちんと使用して書いてあるレポートは、論理が明快になり、読み手も論旨の把握が容易になる。

 このような表現を使うことは、書き手にとってもプラスである。長い文章を書いていると、一体自分が何を書こうとしているのか、書いているのか、わからなくなることがある。他方で、短い文章を単に書き連ねて行くだけでも、論理の展開が不明確になる。これらが迷文である。

 経緯を書くのだから、「そもそも」で始める。いくつかの理由を述べていくのだから、「その理由は、第一に」、「第二に」と書く。異なる見解を書くのだから、「それに対して」で始める。こういった表現を用いることによって、何を書くか、何を書こうとしているのかを意識する、明確にできるのである。こういった表現を用いてできる文章は、型にはまっているという点で名文ではないかもしれない。しかし、定型的であろうと、何が書いてあるか明快で、内容がきちんと相手に伝わる文章になっているはずだ。レポートとしては、それで合格である。
posted by Prof.T at 05:09| Comment(0) | TrackBack(0) | レポートの書き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。