2005年10月03日

大学院受験の話

 この季節になると思い出すのは、大学院受験の頃のことだ。以前にも少し書いたが、4年になって大学院受験を受験しようと考えたときから英書を1人で読み始め、師事しようとした先生の講義も、すでに2年次に単位は取ってはいたが、もう1度最初から出席した。

 友人から過去問のコピーをもらったのはいつ頃か覚えていないが、過去20年分ほどの問題をとりあえずすべてやってみた。英語は辞書持ち込み不可だから、とにかく訳せなければいけない。とくに単語帳をつくった覚えはないが、単語は引いては当時使っていた『リーダーズ英和辞典』にレ、・などとチェック、マークしては、それらが一定数以上になれば、これは覚えなくてはならない単語ということで、暗記していった。

 あまり詳しいことは覚えていないのだが、それはつまり受験勉強に没頭していたからだと思う。
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2005年09月20日

居酒屋で説教・・・

 今も安い居酒屋でよく飲んでいるが、学部学生や院生の時も安い居酒屋で飲んでいた。友人や先輩、後輩と飲むと、最後には青春とか人生とか社会とか国家とか、今から考えると赤面するような議論をしていたものだ。

 博士後期課程の頃もよく飲みに行った。いつ就職できるか皆目検討がつかない連中の飲みだから、天下国家を論じながら、「俺なんかよー」と愚痴ったりする。他方で、俺の才能を何で評価しないんだ!と指導教授を批判するやつもいた。女の話から政治、経済の話、教育問題、あるいは研究について、ありとあらゆる話題を肴に安酒を飲んでいた。

 そういった飲みの最後はたいていある先輩の説教で締めくくられた。でかい口を叩いていた後輩をつかまえて、「いいか、お前はもっと自省しなければいけないだ。よく聞け、このテーブルを世界だとすれば、お前はこの箸のようなちっぽけな存在なんだ。けっして大口を叩いてはいけない」。そんな説教だった。直接説教されている院生だけでなく、われわれ後輩は全くその通り、われわれはみなちっぽけな存在だ、だから地道に頑張って研究をしていかなければならないんだ、一歩一歩、夢に向かってすすんでいかなければならないんだ!と神妙に聞いていたものだった。

 しかし、だ。テーブルが世界で、箸が「お前」だとすると、「お前」の存在はものすごく大きくないか?世界地図にすると、「お前」は日本列島より大きくなる。何だかものすごい存在感じゃないか!?。

 もちろんぐでんぐでんに酔っ払ったわれわれはそんな頭が回るはずもなく、よくわからないまま、「そうだ、そうだ、先輩の言う通りだ」と頷きながら、説教を聞いていたのだった。
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2005年09月18日

20年前・・・

 20年前の今頃は、大学院修士課程の入試の準備をしていた。

 とりあえず英語は専門領域の標準的な教科書とゼミで購入した専門書を、『リーダーズ英和辞典』を引き引き、最初から読んでいった。専門科目2科目は、第1志望、第2志望の科目だったから、それぞれの教授が書いた本、論文を読んで勉強した。第1志望の先生(その後、指導教授となる)は著書、論文のすべてを読むことはできなかったが、第2志望の先生の方はほとんど研究をしていなかったので、コピーする文献も少なくて済んだ。第2志望の先生については、4月24日、4月25日に、「ある先生の話」として少し書いている。
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結果を待ちながら・・・

 17回目の公募結果を待つ日々は不安だった。昼間、大学にいるときはいいのだが、夜、家に帰って1人になったときは、公募のことをどうしても考えてしまう。とくに寝床についたときがいけない。

 担当科目は専門から考えて問題ない。知り合いの先生もいる。きっと通るはずだ。その一方で、ダメかもしれないという思いも浮かんでくる。いやいや、ここは最悪の場合を想定しておいた方がいいかもしれない、「貴意に添えず」という書類が来ることを予想して、心の準備をしておこうとも考える。

 ダメなら助手の任期が切れて浪人生活だ。つらいな。まあ、助手になる前にやっていた家庭教師、塾教師のアルバイトをすればいい。生活費を稼ぐことは問題ない。非常勤講師をやっているから、日本育英会の返還も3年は猶予される。

 強気な思いと弱気な思いを交錯させながら、結果を待つ日々だった。
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10年前・・・

 ちょうど10年前の今頃、私もドキドキしながら、公募の結果を待っていた。翌年3月で助手の任期が切れるので、なんとしてもどこかの大学に就職を決めたいと思っていたが、こればかりは自分の力だけではどうにもならない。採用してくれる大学がなければ仕方がない。

 幸い、専門にきわめて近い科目というか、まさに私が持つべき科目の担当者の公募が、ある大学から出た。その大学には知り合いがいるし、指導教授も私に応募するよう言ってくれた。指導教授と研究会でお世話になっている教授の推薦状2通を添えて、応募書類を送ったのは、夏前だったのか、夏になっていたのか、はっきり覚えていないが、今頃は連絡を待ちながら、不安な日々を過ごしていたのはよく覚えている。

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2005年08月31日

海外で家庭教師・・・(3)

 家庭教師先の母親は海外赴任を喜びつつも、いつ帰国できるのか心配だったようだ。大企業の出世競争において海外赴任がどのような意味、どの程度の重みを持つのか知らなかったが、あまり長く海外にいると出世競争から取り残される不安があるらしいことはわかった。

 母親の関心の中心はもっぱら夫の出世と子供の受験で、勉強の合間のお茶の時間やときどきごちそうになった食事の話題もそれらがほとんどだった。

 父親は九州大学を卒業したらしい。母親がどこを卒業したか聞かなかったが、大卒であった。受験が大変なことはわかるし、重要なことも理解しているが、そこそこの大学を出た人たちが受験競争に振り回されることもないだろう、かなり能力があって難関を突破した人たちなのだから塾や予備校の情報に踊らされる必要もないような気がすると、言わなくてもいいようなことを一度母親に向かって言ってしまったことがあった。母親は「世間が悪いんです!世間がいけないんです!」と言い切った。なるほどそう考えるかと思ったので、それっきり何も言わずにおいたが、この母親とは分かり合うことはないだろうなとも思ったものだった。

 その後、夕食をごちそうになったときのことだ。父親の会社の同僚に話が及んで、中学生の子供が「○○さんは東大を出ているんだよね」と言った。母親がすかさず「東大を出ていても偉くはないのよ」と口を挟んだ。たまにはこの母親もいいことを言うものだと感心したが、すぐに「東大を出ていても会社で偉くならないとダメよ。会社でどれだけ出世するかが重要なの。出世する人が偉いのよ」と付け加えた。

 母親を褒めたことを即座に後悔、撤回し、この母親とは未来永劫分かり合うことはないと確信した。このやりとりの間、黙って食事をしているだけの父親が印象的だった。
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海外で家庭教師・・・(2)

 留学中に家庭教師をしていた中学生の一家は、父親が大企業に勤めていた。中学生の子供も含め、一家そろってビジネスクラスで赴任してきた話を貧乏留学生は複雑な思いで聞いたことを覚えている。

 さして暑くもならない土地で、4LDKの部屋すべてにエアコンを付けていた。もちろん1つ1つの部屋は日本よりもはるかに広い。母親は語学教室と地元の主婦が主催する趣味のサークルに通っていた。中学生の子供は地元のスポーツクラブに参加していた。日本では考えられない長さの夏休みを取って、あちらこちらにドライブに行く話を自慢気に話した。その一方で、「お金がないので、家庭教師のお礼はあまりお支払いできません」と言ってくるのだから、驚き、呆れた。もともと別の家で家庭教師を頼まれていて、その空き時間を使ってついでにこの家の中学生を教えることになったので、まあ黙って聞いていたのだが、「教育に対する投資は惜しんではいけません」ぐらいは言ってもよかったかとも思う。
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海外で家庭教師・・・

 8月も終わり。ということで、今月中に締切の仕事を片づけなければならない。海外で日本から抱えてきた仕事をするものではないとは思うが仕方がない。

 そう言えば、留学中に家庭教師をやったことを思い出した。14年前の8月かな。窓からは外国の街並みが広がるのに、その部屋には日本の教科書、受験参考書が並んでいた。中学生で、高校受験が心配なのはわかるが、何も海外で受験勉強をすることもないとは思ったものの、こちらはそこそこのアルバイト代をもらえてありがたかった。
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2005年08月17日

ラジオ放送の思い出

 『思い出のメロディー』に愛川欽也が出ていて、深夜放送の話をしていた。私が住んでいたところは、彼の放送は雑音だらけでほとんど聞こえず、もっぱらオールナイトニッポンだった。「あのねのね」や彼らと交代で担当した鶴光の土曜日の放送を聞いたものだ。といっても熱中したのは中学頃かな。高校に入ってからは部活で疲れて夜遅くまで起きていられなかった。

 その後、東京に出てきてからのテレビのない生活ではラジオが友だちとなった。夜9時から始まったと記憶するが、TBSの『夜は友だち』という番組が好きだった。生島ヒロシと山本エミコ(字はこれでいいのだろうか?)が担当していた。とくにいつも元気な山本エミコのファンだった。元気なだけでなく、自分の思っていることを自由に発言している(ように聞こえた)点が新鮮で、きわめて都会的な女性に思えた。

 2人が声をそろえて発していた「夜は友だち!」というオープニングが懐かしい。
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2005年08月16日

岬めぐり

 『思い出のメロディー』に山本コウタローが出ていて『岬めぐり』を歌っていた。好きな歌だ。院生の頃、仲間と一緒にカラオケに行ったときに、この曲をリクエストした。その時、仲間の1人が、「この歌を好きな人間に悪い人間はいない」と言ったのが印象に残っている。この言説は正しいと思う。
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2005年08月14日

人非人の手料理

 大学院時代の友人に「人非人」とか「人間のクズ」と呼ばれた男がいた。あるフランスの学者について研究していて、フランスにも何度か行ったことがある。ところが、彼の口から出てくるのは、専門の話よりも女性の話題ばかりである。先に書いた野獣同様、目的は1つである。純愛とはほど遠い彼の行動を見て、周囲の人間は人非人とか人間のクズと非難していたのであった。

 人間のクズだから、女性を前にしても、直接的な表現をする。もちろん、ほとんどの女性は眉をひそめる。ところが、そんな人間のクズがときどき真面目にフランスの話をする。ほんのちょっと前までふざけた言葉しか出てこなかったその口から「セーヌの夕暮れ時が・・・」、「あのビストロの味が・・・」等という言葉が出てくると、その「意外性」にやっぱり素敵ということになってしまうらしい。おまけに「料理が好きなんだ」などとさらに意外なことを言う。で、ついつい手料理を食べに彼の部屋に行ってしまうのだ。

 彼の部屋に行ってみると、当然本がたくさんある。難しそうな専門の本が並んでいる。「わぁ、すごい!」とたいていの女性は感心する。やっぱり真面目に勉強している人なんだと思ってしまうのである。感心するまま彼の手料理を食べ、そして・・・。

 大学院生は真面目だという先入観を先に破っておいて、その後、「やっぱり真面目に勉強している人なのね」と思わせる、難しいことを勉強している人が手料理を食べさせてくれる意外性を利用するのが、彼の手口であった。

 ちなみに彼の部屋に並んでいる専門書のほとんどは日本語の本で、フランス語の専門書はわずかしかなかった。10年以上も前の話で洋書は高く、入手しにくかったから仕方がないとはいえ、それにしてもフランス語の専門書が少なく過ぎ、研究者(の卵)としては失格なのだが、普通の女性にはそういうことまではよくわからないし、言ったところで「やっかんでいるのね」的にしか取られないのであった。
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左翼とアニメ

 野獣が字がきれいだったりする意外性に女性は惹かれるらしい。

 知り合いにゴリゴリの左翼がいる。口から出てくるのはマルクスだったり、レーニンだったり、革命だったりする。外国へ行くときにも成田は使わない。

 ところが、この男がまた無邪気というか、何かの拍子に昔見たテレビアニメなどに話題が及んだりすると喜んで乗ってくるのだ。普段、難解な用語しか出てこないその口から、藤子アニメの主人公の名前などがぽんぽん出てくる。左翼とアニメの対照性、意外性がいいようで、これがまた女性に受けてもてるのである。こちらなどは、その横で資本主義の象徴である民間放送のアニメを左翼が喜んでみていていいのかなどと突っ込んでみるのだが、もちろんこういう野暮なことをするやつはまったくもてないのである。
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字のうまい野獣

 たいていの男は、美しい女性は美しい字を書く、と思いこんでいる(はず)。逆に、美しい字を書く女性は美しく見える(らしい)。「字がきれいだったから結婚した」という話をときどき聞く。

 修士課程の同期に野獣のような男がいた。野獣というのにはいくつか理由があるのだが、風貌がまず野獣である。どう見ても危険だ、近寄りたくない。大学院生には見えない。キャンパスを歩いているよりも、夜の歌舞伎町を歩いている方が様になる感じだ。ドスのきいた声で、普通にしていても睨みつけているような目で、いつも眼を付けているようだった。

 こんな男だが、実にきれいな字を書く。どこの美女が書いたのですか、というような優しい字である。風貌とまったく似合わない、流麗な字だった。彼は女性にもてたのだが、おそらくはその風貌から想像が付かない美しい字も大いに手伝ったと思う。続きを読む
posted by Prof.T at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月09日

赤ペン先生

 女子学生の英語の添削で思い出したが、昔、ある通信添削会社の赤ペン先生なるものをアルバイトでやったことがある。学部生の頃だ。他の会社は知らないが、この会社は生徒の答案をとにかく真っ赤にして返すことをモットーとしていた。添削しまくるのである。しかし、中にはひどい答案があって全くやる気のないものもある。他方で非常にいい答案があって満点に近いものもある。この会社の方針はどちらも真っ赤に添削するというものであった。

 仕事だからやっていたが、私はこの方針には賛成できなかった。やる気のない答案は「やり直し!」、できている答案は「よくできています」でいいような気がしたからだ。

 そのうちといってもなお学部生だったが、添削マニュアルを作る側に回った。この会社の添削のほとんどは、マニュアルを写すだけのものであった。そう意味では添削というよりも転写であった。生徒へのコメントはオリジナルであったが、それも20枚、30枚も添削していれば、どうしても同じような内容になってしまった。
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2005年08月08日

ペンマンシップ

 中学1年の夏休みのバカバカしい宿題が、英語の筆記体の練習帳であるペンマンシップ(penmanship)だった。最初は点線をなぞって、慣れてくると点線なしでアルファベットの筆記体を練習するだけのものである。中学1年の夏だから単語もそれほど覚えていない。したがって、a、b、c・・・、x、y、zを筆記体で書くことが主で、後ろの方にdogとかcatといった単語を筆記体で書く練習があったように記憶する。実につまらない宿題だった。夏休みに意味のない宿題を課して、無駄に英語嫌いを増やしただけではないのかと思う。

 今もあるのだろうか?
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2005年08月07日

魔女の一撃

 3年前の8月第1日曜日、暑い中をとくに用もないまま外に出て、疲れて家に帰ってきた。持っていた荷物を床に置こうとしたとき、背中に衝撃が走った。激痛で、声が出ない。あまりの痛みで立っていられず、そのまま倒れ込みそうになる。しかし、フローリングの床に倒れたら痛い。背中に激痛が走りながらも、床にバタンと倒れてはいけないということだけは考えられた。手を突いて、膝を突き、ゆっくり倒れ込んでいく。痛い。息ができない。これほどの激痛ははじめてだ。ようやく横になり、ゆっくり息ができる状態になって、人心地が付く。
 何が起こったのか、ようやく理解ができた。どうやら背中の筋肉が断裂したようだ。簡単に言ってしまえば、ギックリ腰。ドイツ風に言えば、「魔女の一撃」だ。本当に後ろから突然魔女に一撃を食らった感じだ。
 落ち着いたので、寝返りを打とうとして、また激痛が走る。息ができない。痛みを我慢して体を何とか入れ替える。
 トイレに行きたい。しかし体を動かしたくない。けれどもトイレに行きたい。しかし体を動かしたくない。意を決して立ち上がろうとする。上半身を起こす。激痛。それを我慢して、四つん這いになる。息ができない。柱にすがって立ち上がる。立ち上がるだけで、3分ぐらいかかった感じだ。息を整えて、トイレへ行き、用を足す。ほっとしたのもつかの間、戻って横になることを考えるとぞっとする。しかし、横になって安静にするしかない。激痛を我慢して横になった。

 3日ほどは激痛が走ったのだろうか。その後、1週間ぐらいは軽い痛みがあったような気がする。
 その後、魔女に一撃を食らうことはないが、暑い中、無駄に外へ出て体力を消耗することは避けるようになった。今日も外は暑そうだが、1日家にこもるつもりだ。
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2005年08月06日

読書感想文

 自由研究、「夏休みの友」に並ぶ三悪宿題が、読書感想文だ。

 今、「読書感想文」をGoogleで検索してみると、読書感想文の書き方を指南するサイトが上位に登場する。昔も今も「感想文」に苦労しているようだ。

 それらのサイトをちょっと見てみると、感想文ではなく、作文としてとらえて、自分の体験に絡めて書いていく、いきなり原稿用紙に書かないといったアドバイスが書いてある。

 35年ほど前にこのようなサイトがあったなら、私の苦痛ももう少し軽減したと思われる。感想文は毎年書かされたが、どのように書くかは、指導されなかったような気がするなあ。まあ、これも「気がする」だけで、実際は指導されていたのかもしれないのだが・・・。

 「感想」文と言っても、いくつかのサイトが書いているように、「おもしろかった」とか「ためになった」なんていう「感想」ではダメだ。「つまらなかった」とか、とくに課題図書を「読むに値しない」なんてのはなおさらダメ。単なる感想ではなく、分析的に読み、書かねばならないのだから、「感想」文という言い方は不適切だろう。

 いずれにしても、書き方を教わった覚えのない私にとって、感想文も苦痛だった。
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夏休みの友

 夏休みの宿題と言えば、「夏休みの友」があった。国語、算数、理科、社会の問題が1冊にまとめられた復習テキストだった。県の教育関係の団体が毎年つくっていたように記憶する。この「夏休みの友」がまた大嫌いだった。算数の計算問題が嫌いだったし、国語の読解問題や社会の「・・・について調べてみよう」的な課題、理科の「・・・を観察してみよう」的な課題は苦手だった。「調べてみよう」や「観察してみよう」はいいのだが、どのように調べるのか、観察するのかは、書いてなかったような気がする。まあ、これも「気がする」だけで、実際には書いてあったのかもしれないが、とにかくやりにくい問題、課題が並んでいたような記憶だけが残っている。これがあれば自由研究はいらなかったと思う。やるのが嫌で先延ばししていたから、結局8月の終わりにいい加減に片付けていたような気がする。
 「夏休みの友」は夏休みの敵であった。
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夏休みの思い出

 夏休みの思い出といっても小学校の頃の話だから、大昔の話だ。
 小学生の頃の夏休みの宿題といえば、「自由研究」を思い出す。各自テーマを自由に設定して、と言っても理科か社会が多かったように記憶するが、図鑑や事典を使って調べたり、観察、調査を行わせるものだった。
 私はこれが嫌いだった。植物の観察日記とか、とにかく毎日きちんきちんと記録を取るのが苦手だった、というかできなかった。「毎日きちんと」がダメなんである。図鑑でお手軽に調べる自由研究は当然のことながら評価されず、博物館見学などをしていないといい成績がもらえなかったような気がする。
 小学校の間、ずっと自由研究があったような気がするが、この自由研究のせいでずいぶんと不自由な夏休みを過ごした。
 単に自由研究をやりなさいというよりも、いくつかのテーマを示し、具体的な調べ方などを示唆した方がいいように思う。もっともそういう指導は実際にはあって、私が聞いていなかっただけかもしれない。小学生の頃はあまり勉強しなかったから。
posted by Prof.T at 15:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 昔の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月28日

問題をつくる

 6月19日にも書いたが、院生の頃、予備校の模擬試験問題をつくるアルバイトをしていた。
 解説を含んで作問料は科目で1題5万円、特定大学の論文形式の問題は10万円ほどだった。

 科目の試験を作成して大変だったのは、選択式の問題の誤答作りだった。
 「下線部に関連する説明として正しいものを選びなさい。」という問題を出して、選択肢を1〜4(あるいは5)用意する。正解の1つはいいのだが、残りの3つ(あるいは4つ)は誤ったものを用意しなければならない。正しい記述は教科書にも、参考書にもあるから問題はない。誤答は問題に即してオリジナルなものを用意しなければならない。簡単すぎてもいけないので、結構、頭をひねらなくてはならない。選択肢が5つだと4つ誤答を用意しなければならないが、最後の4つめが出てくるまでに時間がかる。何しろ普段正しいことを追究していて、誤っているものをつくるなんてことをしていないから大変なのだ。

 逆に「誤っているものを選びなさい」という問題の時は、誤答を1つ用意すればいいので楽なのだが、こちらの形式の問題は推奨されていなかったように記憶する。

 受験テクニックとして、選択式問題の正解は記述の一番長いものと一番短いものにあることが多いということが知られているから、問題文の長さをなるべく同じようにするなどの配慮もしなければいけない。いつも締切ぎりぎりまでかかっていたような気がする。いや、ときどき締切を過ぎて担当者に迷惑をかけていた。

 何となく昔のことを思い出した。
posted by Prof.T at 16:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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