2005年07月19日

試験監督のアルバイト

 今日の試験で補助監督員がついてくれたが、彼らは助手か院生なのだろう。

 私も院生時代、よく試験監督のアルバイトをした。20年ほど前で時給1500円ぐらいもらえたと思う。問題の配付、回収、不正行為の防止などの仕事内容を考えたら、超楽勝のアルバイトである。

 全体的な楽な仕事である試験監督のアルバイトも試験終了直後はちょっとだけ忙しい。答案は学生がそれぞれ教壇の指定場所に提出するので、教壇付近は混雑する。試験監督は答案の枚数を数え、出席者数と一致するか確認しなければならない。数人いる試験監督は提出された答案をどんどん数えていく。

 ある試験で友人が主任監督を務めていたときに、注意されたことがあった。彼曰く、試験終了後、他の試験監督は答案の枚数を一生懸命数えているのに、お前は教室の後ろの方に立っていてブラブラしている、さぼらずに他の試験監督を見習ってちゃんと仕事をするようにとのことだった。

 冗談じゃない!
 試験終了とともに全員がちゃんとペンを置くわけではない。そもそも教壇当たりは混んでいる。試験監督も答案整理に夢中だ。こういうときにこそ、不正行為が行われやすいのである。私はそれを監督していたのだ。それに、試験が終了しているにも関わらず、ペンを置かず答案を書き続けるのも不正行為である。私はそういう学生を注意していたのである。もちろん声をかけただけでは答案を書くのをやめない学生もいる。そういう場合は、机を揺さぶったのである(床に固定していない机だったので、簡単に揺れた)。

 以上のことをざっと説明したら、友人も理解してくれた。その後は、汚れ役を買って出ていると、評価されるようになった。
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2005年07月15日

「笑っていいとも」

 昨日は、というか、今朝は、3時頃就寝。10時過ぎに起床。就寝、起床の時間は、すっかり夏休みモードだ。学期中の平日は1限の授業を入れているので早起きだが、授業の縛りがなくなると、とたんに今日のような生活パタンになる。

 それでも、「笑っていいとも」が始まる前に起きたのだから良しとしよう。学部学生時代も夜更かしの生活を送っていた。朝刊を読んでから寝るという生活パタンが多かったが、そうするとだいたい起きるのは、「笑っていいとも」が始まる頃だった。目が覚めて、すでに「笑っていいとも」が終わっていると、ショックだった。

 学部学生時代に見ていた「笑っていいとも」がまだ続いているというのは、凄い!さらに凄いのは、タモリが昔のスタンスのままで活躍していることだ。「あの人は今」にもならず、文化人にもならず、一貫して芸能人でいる。そう言えば、流浪の番組「タモリ倶楽部」も続いている。もう「笑っていいとも」は見ることはないが、「タモリ倶楽部」は見ることがある。

 今の学生は、生まれたときから「笑っていいとも」に接していることになる。彼らもまた「笑っていいとも」が終わってから起きると、ショックを覚えるのだろうか?
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2005年07月07日

パリ

 ロンドン、パリ、マドリード、ニューヨークの中で、最初に訪れたのは、パリである。1989年の9月だ。旅程の関係で、わずか1泊2日の滞在が残念だったが、楽しかった。
 凱旋門の近くの小さなホテルをとり、まずは凱旋門に上り、その後シャンゼリゼをずっと歩いた。その後、ルーブルに行き、モナリザ、アフロディテの彫像(ミロのヴィーナス)など、有名どころを駆け足で見て回った。一番印象に残っているのは、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」で、迫力に圧倒された(世界史の教科書で見て想像していたものよりもはるかに大きかった)。いや、本当に駆け足をしているような感じで、ルーブルをあとにして、ポンピドゥー・センターを回って、フォーラム・デ・アール内の書店で本を見て回った。夕方、ノートルダム大聖堂に上り、メトロでエッフェル塔へ行き、一番下の展望台に上って、そこにあるレストランで夕食を取った。
 博士後期課程在学中で、次に来られるのはいつになるかわからないから、とにかく観光名所だけを見て回り、高所恐怖症なのに高いところに上りまくった、完全にお上りさんの旅行だった。

 パリに行きたくなったのは、その数年前に読んだ、玉村豊男『パリ 旅の雑学ノート』新潮文庫の影響が大きい。1983年に出版されているから、今では情報が古くなっているけれども、読んだらパリに行きたくなってしまう危ない本である。学部学生時代に読んで、パリに行ってみたくなったものの、時間はあったが金はなかった(というか、当時は学生の間に海外旅行をするという発想がなかった)ので、同じ著者の『ロンドン 旅の雑学ノート』を買って読んだ。こちらもおもしろかったが、パリにはかなわなかった。
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2005年07月04日

「そこに座ってください!」

 もう8年ほど前の話。9月下旬か10月上旬のお昼時の話である。

 非常勤先で午前の授業を終えて、学内の食堂でお昼を食べ、講師室に戻ろうと食堂内を出口に向かって歩いていたら、前期に教えた数人の女子学生と出会った。
 「あーっ!」と声を上げる学生。
 「よぉ!」と応える私。
 しかし、学生たちの表情は険しい。

 「先生、そこに座ってください!」
 素直に座る私。
 
 「先生、ひど〜い!」
 「はぁ?」
 理由がわからない。

 「何で、試験を受けて、レポートを出したのに、不可なんですかッ?」
 理由がわかった。彼女たちは授業を受けて、試験を受けたのだが、出来が悪かったのだ。そのままでは、不可だ。そういう学生が少なからずいたので、「敗者復活」レポートを課したのだった。ところが、彼女たちは(おそらく)1人を除いて、レポートも出来が悪く、結局、不可だったのである。

 「信じられない!」
 いや、それはこちらのせりふだ、もう少し勉強せよ、レポートは敗者復活戦であるから、ちゃんと勝ち抜かなければいけない、君らは敗者復活戦に敗れたのだ、等々言ってみたのだが、彼女たちに勝てるはずはない。這々の体で逃げ出した。

 その時、ひときわ大きな声で私を糾弾していた女子学生が福島県出身であった。おしゃれな格好をしていて、見かけだけではどこの出身かわからないような女の子だったが、アクセントは誤魔化せなかった。外見とアクセントのギャップが可愛かった(糾弾しているときは憎たらしかった)。

 以上が、私と福島弁との出会いである。
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洋書の注文

 今では洋書もオンライン書店で簡単に注文でき、早ければ3日ほどで入手できる。しかし、10年ほど前までは、注文も面倒で、入手にも時間がかかった。
 
 注文はたいてい洋書小売り店が作成した毎月発行したカタログを見て、そこに挟まれているはがきや各社の営業に頼んで注文する。オンライン書店を利用しない研究者は、今でもこの方法で注文しているのだろう。
 
 カタログを見て注文して、在庫があればすぐに入手可能であるが、問題は在庫がない場合である。3週間で入手できればかなり早い方であったように思う。だいたい2ヶ月くらいだったかな。研究に必要だと思っても、すぐに使うことができないのである。

 「洋書は注文してもすぐに届かない。入手するまでの時間も考えて早めに研究計画を立てるように」と修士時代、指導教授からよく言われた。
 確かに、1年の夏休みに研究計画を立てて本を注文しても、本が届くのは秋である。ひょっとしたら冬になってしまうこともある。2年になって研究テーマを決定しても、洋書を注文しなければならなかったりすると、多くの場合、その時点で修士3年がほぼ確定した。
 注文した本が届かないので、研究テーマを変えてしまったとか、1年以上も経って本が届いて、何でこの本を注文したのかわからないというような話もあった。
 カタログにはタイトルしか載っていなかったりしたので、ようやく入手できても研究にほとんど役立たないということもあった。
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2005年07月03日

コーヒーで目を覚ます

 大学院の研究指導の際に、わが研究室ではコーヒーを飲む習慣があって、当番は修士の1年生ということになっていた。
 ある日、修士1年だった私は、いつものようにコーヒーを淹れて、奥に座っている先生の元に運んでいった。すでに学生の報告が行われていて、5分ほど経過した頃だろうか。昼下がりの暖かい日差しを受けて、先生はうつらうつらと・・・居眠りをしていたようだった。先生の斜め後ろから、コーヒーを先生の机に置こうとして、起きていたら黙っておくわけにもいかず、さりとて寝ていては起こしてはならないと、「失礼します」とそっとささやき、ソーサーとカップを先生の机に置こうとしたとき、気配を感じたのか、あるいは「失礼します」で目を覚まされたのか、先生が身を起こし、ソーサーと先生の腕がぶつかり、コーヒーを先生の腕にこぼしてしまった。
 「すみません」と平身低頭の私に対し、
 「いや、まあ、うん」と答える先生。
 「やけどとか、大丈夫でしょうか。染みは・・・?」と心配する私。
 「うん、まあ、大丈夫だ」と先生。
 とんだ大失態だったが、先生は怒ることもなく、そのまま研究指導は続けられた。

 研究指導が終わって、ある先輩から、「未だかつてないドラスティックな起こし方をした。すばらしかった。」とからかわれたが、こちらは何とも冷や冷やものだった。
 ちなみに、その先輩から「すばらしかった」と言われたのは、あとにも先にもこのときだけだった気がする。
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2005年07月02日

コーヒーはブラック

 ようやく腹痛も治まってきて、コーヒーが飲めるまでに回復してきた。

 ところで、みなさんはコーヒーをどのように飲んでいらっしゃるのだろうか?

 私はブラックで飲む。と、大学院時代に研究室で言ったら、後輩の女子学生に「生意気ですね」と言われたことがある。先輩にそのようなことを言うことの方がよっぽど生意気である。それに格好をつけるためにブラックになったわけではない。必要に迫られての話である。一人暮らしをしていて、砂糖を切らした、ミルクを切らした、そんなこんなでブラックになっただけである。

 大学院の博士後期課程時代、後期課程の学生に与えられた部屋で、みんなでお金を出し合ってコーヒーを飲んでいたが、やはり砂糖、ミルクを切らしたことがあり、この部屋で勉強する学生は、自宅生も次第にブラックでコーヒーを飲むようになっていった。
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2005年06月28日

暑い・・・

 暑い・・・

 教室に冷房が入っているので救われるが、冷房がなかったらさぼりたくなるような暑さだ。
 昔はよくこの暑さを我慢して授業をしていたものである。昔の人(われわれ)は偉かった。

 えっ、授業、さぼっていたんだろうって?

 まあ、さぼる授業もあったが、教員の方は授業をしていたし、学生も試験はさすがに受けていた。
 冷房のない部屋で、下敷きを団扇代わりに使って、生暖かい微風をないよりましだと起こしながら、結局そんなものは役立たず、答案用紙が腕に張り付いて、それをはがしながら、水分を含んでふやけた答案用紙に、インクをにじませながら(答案はペン書きだった)必死に解答を書いた(遠い目)。
 
 学習環境は飛躍的に向上したが、学生の学力はそれに見合って伸びているのだろうか?
posted by Prof.T at 15:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月27日

助手試験

 フランス語の勉強会が破綻して2、3ヶ月経った頃だろうか、指導教授からある学部の助手試験を受けるように勧められた。
 試験科目は英語とドイツ語ないしフランス語。私はフランス語を選択。
 辞書持ち込み可の試験で、英語はリーダーズ英和辞典(研究社)を、フランス語はロワイヤル仏和辞典(旺文社)を持ち込んだ。どちらも普段から使っていたものだから、あちこちに書き込みがしてある。
 試験時間は2時間だったと思うが、2時間半だったかもしれない。この時間内で、英語、フランス語各2問、合計4問を和訳しなければいけない。どこかの専門書の一節をコピーして出題してあるのだが、英語は25-30行ぐらい、フランス語は20-25行ぐらいだった気がする。
 とりあえず慣れている英語から手をつける。2問あるうちの長い方の問題が・・・わからない。30行ぐらいの文章がどのような文脈で書かれているのか、それがわからない。辞書を持ち込んでいるから、単語の意味は確認できる、しかし、問題文の文脈での適訳を決定できない。

 あきらめた。

 とりあえず、無駄に時間が経過するのを恐れ、英語を後回しにして、フランス語に取りかかることにした。

 英語をさっさと片づけ、負担が大きいと思われたフランス語に時間をかけるという目論見は破れた。
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2005年06月26日

前科・・・

 もう10年以上も前、まだ院生の頃の話。
 留学から戻ってきて、後輩2人とフランス語の勉強会をやることになった。毎週1回、大学院生用の部屋に集まって、2時間ほど訳読をしていた。終わってからは、3人でお昼を食べる、楽しい勉強会であった。

 勉強会が軌道に乗ってどのくらい経った頃だろうか。彼女(後輩の1人、既婚)が、合コンを企画してくれた。われわれに友達を紹介してくれるという。どうしてそういう話になったのか、よく覚えていないのだが、われわれ2人に断る理由はなかった。

 彼女は友達を3人ほど連れてくるということだったので、こちらは私の友達2人に声をかけ、数をそろえることにした。

 合コンの場所は原宿だったように記憶する。貧乏院生が普段絶対入ることのないおしゃれなお店であった。お店にも女性にも慣れていないわれわれは、ぎこちなく会話し、ぎこちなく食事をした。時間が来たので、店を出た。
 彼女たちはそのまま帰るという。
 われわれは2次会に行くことにした。男だけの飲み会は、妙に盛り上がり、話は弾む、酒は進む、ぐでんぐでんに酔っぱらった。
 アパートにたどり着いたときには、日付は変わっていたと思う。

 朝、寝ていると、電話が鳴った。
 頭が痛い・・・受話器を取ると、昨日一緒に飲んだ後輩である。
 「勉強会の時間です」

 「ごめん、頭がガンガンするから休ませて・・・彼女にもよろしく・・・」
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2005年06月25日

「ある日突然」

 トワ・エ・モワが「ある日突然」でデビューしたのは1969年。小学生だった。そのころは、まさかある日突然、そんなことが起こるとは思ってもいなかった。

 4年前の2月、1年間の在外研究に出るちょっと前、研究室で書類をつくっていた。PCに2時間ほど向かって、普通に作業をしていた。いつもの通り、いつものような、ありふれた作業であった。

 さて、ちょっと、トイレへ行こう、そう思ったときのことだ。


 立てない・・・・

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2005年06月19日

突然の電話と6000円

 ちょっと申し訳ないような内容の話なので、あまり書きたくはないのだが、日曜日の朝ゆっくり寝ていた話と大学院の話を書いたので、その流れで書くことにする。

 10年以上前の、まだ大学院の博士後期課程の学生の頃の話。

 日曜日の朝、狭い4畳半のアパートで寝ていたら、突然電話がかかってきた。

 「試験の監督のお願いが行っていると思うのですが・・・」

 当時、私はある大手予備校の模擬試験問題の出題のアルバイトをしていた。もともと採点だけをするはずだったのだ(確か採点講師という立場で、講師としての採用試験もあった)が、その科目は人手不足だということで、出題もするようになっていた。
 電話は予備校から、私がつくった問題も出題されている模擬試験の実施日であった。試験の監督とは、この場合、会場で問題を配付したり、不正行為がないか監督するものではなく、模試の問題に対して受験生から質問があった場合に答える役目をするものである。

 聞いていない話であったが、主任の先生がこちらに連絡するのを忘れていたか、急に用事ができて私に回してきたのかもしれない。事務のミスかもしれない。

 「はあ・・・」

 とりあえず曖昧な返事をする。というか、寝ていたので、話がよくわかっていない。

 「お願いが行っていたと思うのですが・・・」

 どうも引き受けなくてはいけない状況のようだ、寝ぼけた頭はそう判断した。

 「わかりました」と返事をすると、
 「相手は受験生から質問があったら連絡しますので、試験終了まで自宅待機をお願いします。」と言う。

 「了解しました。」

 電話を切って、また寝てしまった。

 2時間ちょっと経過した頃だろうか、昼近くに、再び電話が鳴った。


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2005年05月29日

早慶戦の思い出

 帰ってきて、テレビをつけてチャネルを回していたら早慶戦をやっている。
 小学生、中学生の頃に見たときには、「ずいぶんおじさんたちがやっているな」という印象だった(お兄さんたちがやっているのが高校野球)が、気がつけば「子供たちが頑張っているな」という感じで、いや本当に年をとった。

 その昔、われわれが入学したときは早慶戦がまたまた過熱していたときで、神宮球場への泊まり込み、試合後の歌舞伎町での騒動が問題になっていた。私は泊まり込みはしなかったように記憶しているが、試合後の歌舞伎町での騒ぎには参加した。試合が終わって、仲間と新宿まで歩き、飲んでコマ劇場の前に行ったら大騒ぎになっていた。
 当時、コマ劇場前には池があり、みんなそこに入ったり、投げ入れられたりして、あたりは水浸しになっていた。電柱に上るものもいた。
 若き私も調子に乗って、仲間を池に放り込んでいたのだが、とうとう私の手足が数人につかまえられるときが来た。
 手足をとられ、勢いよく空中に投げ出された瞬間、「これは夢だ」と思ったが、そんなことはなくしっかり現実だったから、およそ1秒後にはずぶ濡れになっていた。
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2005年05月03日

緑の先生

 緑が美しい季節になった。

 学部学生時代、自然科学を教えていて、緑を大変好きな先生がいた。毎日、必ず何か少なくとも一つは緑色のものを身につけている。ジャケットが緑だったり、ネクタイが緑だったり、ハンカチが緑だったり・・・住んでいる町にも「緑」が入っていた!
 
 緑が好きな先生の定期試験では、何人かの学生が必ず緑色のボールペンで答案を書いていた。評価が甘くなるとか、単位がくるとか、いろいろ噂があった。真相は知らない。
posted by Prof.T at 20:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月02日

バイトの話

 今の学生はどんなバイトをしているのだろう?
 私は貧乏学生だった(今も貧乏教員であるが)ので、いろいろなバイトをやった。
 その中で一番楽だったのは、サイン会のサクラのバイトかな。
 サークルの先輩から連絡があって、本屋で何人かで行列をして、サインをもらった。株式評論家の本で、実働30分で3000円もらった(サイン入りの本ももらった)記憶がある。株に投資するより効率がいいのでは、と思ったが、こんなに楽勝なバイトはその後なかった。
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2005年04月30日

ポチポチと・・・

 原稿執筆の最中。
 昨日、ワープロの話を書いた。私がこの業界に身を置いていられるのは、1つには大学院入学とワープロの普及が重なったこともある。
 1つは字が下手で、自分の字を見るのが嫌だということがある。それ以上に、急いで書くと判読できない場合が多々ある。
 第2に原稿用紙に書いていく、という作業が苦手だった。頭に浮かぶ考え、アイデア、思いをそのまま文章にしていくことは、ブログの記事の単文のような場合はともかく、レポート、論文になるとかなり難しい。構成を考えて、段落を入れ替えたり、書き直したり、書き足したり、現在ワープロで簡単にできることが、手書きでは困難であり、それ以上に時間的コストがかかる。提出のための「清書」という行為が、無駄に思えた。
 こういったことがワープロの登場によって克服された、少なくとも克服されると考えたので、回りの学生に比べると比較的早い時期にワープロ専用機を購入したのであった。そうしてまずはタッチタイピングができるように、ポチポチと入力の練習をしたのだった。
posted by Prof.T at 10:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月29日

ワープロ

 大学院時代に習ったある先生の話。
 ワープロといっても今のパソコンソフトのワープロではなく、ワープロ専用機が普及しつつあった時代。
 その先生のところに、ワープロのセールスがやってきた。
 「先生、ワープロ、いかがでしょうか?」
 それを聞いた先生、怒り出した。
 「君、失敬じゃないか!神聖な研究室で、ワープロとは何事だ!!帰りたまえ!!!」
 

 「いや〜、ワールドプロレスリングのチケットを売りに来たんだと思ったんだよ。悪いことをしたよ。ガハハハ。」

 憎めない先生だった。最近はご病気がちと伺うが、まだまだお元気にお過ごしいただき、われわれを指導していただきたい。
posted by Prof.T at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月25日

ある先生の話(2)

 本来学部で縁が切れるはずであった先生であったが、大学院受験の時に関係することになった。
 大学院の修士課程は英語と専門科目2科目の試験があった。専門科目の1つは第1志望とする科目だが、もう1つをどうするかという問題があった。第1志望の先生に、先生の元で勉強したい、と相談に行ったら、「試験の成績で合否が決まるからとにかくいい成績を取ること」とのこと。さらに「大学院に進学することを第1とするならば、第2志望として入りやすい研究室を希望するべきである」と言う。
 考えた末、当初第2志望と考えていた研究室志望を変更し、あの1回しか出なかった先生の研究室を第2志望にすることにした。
 その先生を第2志望としたことは正解だった。というのも試験対策が楽だったからである。私が受けた大学院の場合、専門科目の試験は各研究室の指導教授がもっとも専門とする分野から出題される。したがって、各先生の過去の著作、論文をひたすら読む、ということにしたのだが、第2志望とした先生は過去30年ほどのキャリアで論文が10本もなく、翻訳本が1冊しかなかったからである。かくして、英語と第1志望の科目に集中して試験勉強を行うことができたのである。その先生は大学院受験においても楽勝科目であった。
posted by Prof.T at 05:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月24日

ある先生の話(1)

 20年間、試験問題を変えなかった先生の話を先日書いた。今日、書く先生もそれと似たような先生。
 その先生の授業は学部2年生のときに受けた。授業の話はやはり20年間くらい変わっていないという話だった。初回の授業に出たら、やる気がなさそうで、何を言っているのかわからなかったので、そうそうに見切って、その授業には2度と出なかった。ちなみに、昔は「学生が授業に出るというのはどういうことだ、けしからん」という風潮が一部にあった。よく言えば、勉強は自分でするものだ、ということでもあるが、「とりあえず大学に行って授業に出ておこう」というような学生は今よりもはるかに少なかった。
 その先生の試験も楽勝で、10題ほどの問題から毎回3題ほどがランダムに出されているとのこと。とりあえず何世代もコピーされ、かろうじて文字が判読できる状態の模範解答のコピーを入手し、全部暗記し、試験に臨んだ。結果は優であった。
 この先生との関係はここで切れるはずであったが、大学院に進学することになったときに、関係が復活することになる。
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2005年04月17日

1年後

 20年間同一授業、同一試験問題という、ある意味すごい(まねする度胸は当方にはない)先生の話の続き。これは後輩に聞いた話。

 われわれがとまどいながら試験を受けた翌年、その先生はまた同一内容の授業を行っていたらしい。ある日の授業、学生がおしゃべりしていて教室がうるさかったらしい。
 先生、一計を案じて「うるさいと試験問題を変えますよ」。
 
 教室は瞬時に静まった。

 
posted by Prof.T at 21:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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